《ネパール大地震緊急支援リポート》


ネパール大地震

シンドゥパルチョーク緊急支援プロジェクトへ

義捐金をご寄付して頂きました皆様方へ

 

 この度のネパール大地震の緊急支援のために、多くの義捐金をご寄付いただきましたこと、心より感謝申し上げます。

 

ネパールの災害史の中でも未曾有の大災害となり、ネパールの内務 省の報道によりますと現在まで死者8460人、負傷者2万人以上、ま た国連の発表では人口の30%にあたる800万人が被災したと報告されています。

 

 このような国の大惨事に政府の対応の遅延が国際的に大きく批判される中、NGOマヤ・ネットワークでは、大地震4日後の29日から支援表明を発表し、三日後の5月1日には第一弾としてシンドゥパルチョーク郡のチラウネ村など、5村へ救援物資を届けることができました。

 

 その後、皆様の多額の義捐金と励ましや祈り心に支えながら、大きな余震が日々頻発する中で、現地へ15回赴き、手から手へ現地の困っている方々へ、救援物資を直接届けることが出来ました。

 

 延べ人数150名以上という大変に多くの皆様方のご支援、そして天真会の青木先生、吉田先生、アウレオ社の守屋夫妻、NPOクリカの小原夫妻などの多大なご支援とご指導のお陰様であり、あらためてご支援頂きましたお一人お一人の皆様へ心より御礼を申し上げます。

「NGOマヤ・ネットワーク・ネパール

代表 ウサ・ギリ


【救援活動のまとめ】(2015.9.13)

【お届けした救援物資の総数量】

◆米 168トン550キロ

◆ダル豆1トン770キロ

◆食用油1 トン190リットル 

◆塩2トン550キロ

◆乾燥米630キロ

◆チャナ豆760キロ

◆テント970張り

◆蚊帳1260張り

◆マスク1000個

 その他、生理用品、古着、医薬品、インスタントラーメンなどなど。

※内、米136 トンは大企業家からの現物のご寄付を、私どもがトラックにて現地まで届けました。また、現地での食事は持ち出しなど全て自分達でまかない、車は途中から自分達のスクールバスを使い事故による故障代、その他雑費などはすべて自分達で賄いました。


 

【ネパール大地震救援活動について】

NGOマヤ・ネットワーク・ネパール

事務局長 木村悟郎

 4月25日午前11時56分、ネパール北東部ラムジュン群で、マグニチ ュード7.8の大地震が発生しました。地下15キロで熱核爆弾20個を超す巨大なエネルギー(衝撃波)が炸裂し、シンドゥパルチョーク郡を始めカトマンズ渓谷などネパール一帯へ襲いかかりました。

 

 私は、経営するマヤベーカリーレストランに居りましたが、スタッフをすぐに広いガーデンへ誘導しました。立ってられない揺れでしたが、パニック になり泣き叫ぶ女性スタッフ達を懸命に支えていました。

 

 驚いたことに大地震の最中にも支えている数名の女性スタッフ達の息遣いや細かな様子が鮮明にゆっくりしたモードで見えていました。一人は気絶寸前となっていました。その女性スタッフの手は氷そのものの如く冷たくなっていました。

 

 さて、大地震2日後の27日に、日本を訪問していたウサ代表が早朝にカトマンドゥーへ入る予定でした。しかし、トリブヴァン国際空港の大混乱で、待機させられていたダッカ空港から28日の深夜遅く帰ってきました。

 

 乗客の全ての荷物はダッカ空港で強制的に降ろされ、各国の支援物資が積まれた為に手ぶらにての帰国でした。ウサ代表には、深夜過ぎに帰ってきてすぐにシンドゥパルチョーク郡などの大地震の惨状を伝えました。自分の国のまさかの大惨事にしばし凍りついたように愕然としていました。

 

 しかし、NGOマヤネットワークネパールにおいて、すぐにシンドゥパルチョーク郡の緊急支援を行うことを深夜に即決しました。翌日の4 月 29 日からカトマンドゥーで不通になっていたインターネットが、早朝から4 日ぶりに繋がりました。すると、師の青木宏之先生や事務局の高弟の吉田晶子先生から(一般財団法人天真会)からシンクロニシティーでしたが支援表明メールが直ちに届き、ちょうど私も支援要請の文章を作っていたところでした。

 

 それを友人達のブログや天真会メーリングリストなどに掲載して頂き、29 日の夜中から金沢の自分の叔父を皮切りに、まず難民チベット子供サポートNPOクリカ関係者(道友の小原夫妻のお弟子さん達や知人) から怒涛の個人の多額の義捐金があり、30 日には一般財団法人天真会から多額の義捐金の振り込みがあったお陰で、翌日にはATMからすぐに多額の義捐金を引き出すことが出来ました。

 

 その義捐金にて米塩油などの救援物資やレンタルの運送トラックを手はずし、翌日の5月1日には信じられないスピードで被災地の村人達へ救援物資を手から手へ届けることが出来ました。実は、その数日後、政府により義捐金目的の海外からの送金は凍結されましたが、便宜と緊急性を考え日本の銀行の個人口座を使用していため難を免れました。

 

 その後の2週間あまりは、余震が続く中で朝から晩まで休む暇もなく怒涛の流れでしたが、多額の義捐金のご寄付が毎日のように皆様から振り込まれて継続して支援活動を続けることが出来ました。

 

 さて、第十弾の5月10日に支援しましたシンドゥパルチョーク郡のメランチのナグルパリカ村では5月12日の第二の大きな地震M7.2により、道は複数寸断され村の畑などあちこちに地割れが起こり、周辺の村々を含めると22名もの人々がさらにお亡くなりになりました。

 

 亀裂・半壊の家々もすべて100%全倒壊したとのことです。大地震から2週間たち気が緩んで安心しきって亀裂・半壊の家々の中で作業をしていたのかもしれません。緊急時で火葬することができずに複数のご遺体は、そのまま近くの川へ次々へ流されたとのことです。多分荼毘に付す薪を都合できなかったカーストの低い貧乏な方達だと推測します。

 

 あの瓦礫の下から救い出したという乳飲み子を抱えたお母さんや、トウモロコシの粒をそぎ落として淡々ともいでいた 78 歳のお爺さんはどうなったのだろうとすぐに案じましたが、救援活動がわずか二日ずれていたら、自分たちも大きな被害にあっていたかもしれません。帰れなくなっていたのは間違いないことでしょう。

 

 今回の救援活動により、本当に困っていたダリット(不可触賎民)や貧しい子供達などへ大量の救援物資を届けることができました。振返りますと、大きな余震が頻発する中であのような難路を無事故で切り抜けられたのは、奇跡が起こったと思わざるえません。それは皆様の真心が見事に結晶化して成就したのだと思っております。

 

本当に心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

NGOマヤネットワークネパール事務局長

木村悟郎